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完(130402)

 

 壁にかかっているカレンダーの一番上の紙をビリビリと切り離しながら、青峰は後ろにいる黄瀬に声をかけた。

「おまえ今年は何がほしいわけ」

 あれこれ考えるより、聞いてしまった方が早いと考える青峰は、毎年黄瀬の誕生日が近づくと何が欲しいか聞くことにしている。去年は青くて身に付けられるものだったし、一昨年は指輪だった。それぞれピアスとリングネックレスを選んで、今も黄瀬が身に着けている。

 黄瀬はソファの下部分を背もたれにし、ラグに腰かけていた。手元の台本から顔をあげ、目を瞬かせ首を傾げてみせた。何のことか理解できていないようなので、カレンダーの月の数字を指さした。

「あ、そっか誕生日」

「自分の誕生日忘れるとか、おまえも歳だなー」

「だって最近忙しかったんスもん! えー、どうしよう、考えてなかったっス」

 決まってほぼ即答していた黄瀬だが、今年は考えてなかったうえ、特に思い浮かばないらしい。今年もまたアクセサリー類を強請られるかもしれない、と身構えていた青峰は拍子抜けした。しかし黄瀬は仕事のおかげで金銭的に困っているわけではないし、そろそろ欲しいものだってネタ切れだろう。

「別にまた今度でいいけど」

「んー、そうなんスけど」

 一度考え出したら気になってしまうのだろう。台本を置いたまま、うーんと首を傾げている。

「……どっか行きたいとこあるか?」

「え? どっかって? 買い物とか映画とか?」

「別にそれでもいいけど、旅行みたいな?」

「青峰っちとっスか?」

「俺と。あ、誕生日プレゼントのかわりだからな」

「えー、えぇー?」

 やや変わった質問に、黄瀬は更に困惑した表情を見せた。勢いで言った青峰自身も、突拍子がなさすぎたなと一緒に首を傾げる。欲しいものがないならと、なんとなく思いついただけだ。近頃の黄瀬は学校と仕事とばかりで、遊びに行っている様子がない。たまには息抜きに出掛けた方がいい気がしたのだ。

「あー、ないならいいわ」

「ある! あるから! でもありすぎて今すぐは決められないんス!」

 小さく溜息を吐いて青峰が言うと、慌てて両手をぶんぶん振って黄瀬は否定した。

「前に撮影で行った沖縄の離島がね、すっごい良かったんスけど、遠く行くならゆっくり行きたいじゃないっスか。だから却下でしょ。あと温泉も思い浮かんだんスけど、入るとき青峰っちと別々じゃ意味ないからやっぱり却下っス。で、遠出するなら交通手段は電車になるけど、俺青峰っちが運転する車に乗ってるの好きなんスよね。そういうの色々考えたら、ぜんっぜん決まらないっス。あ、やっぱり日帰りっスか? それとも一泊していい?」

「それはお前のスケジュール次第だろ。けど、どのみち今月中じゃねえと無理か」

 まくしたてられたプランに、青峰は頭をくらくらさせながら答えた。来月になると青峰は日本代表メンバーとして収集がかかる。予定を好き勝手出来るのはオフシーズンの今月いっぱいまでだ。思いつきで言ったことだから仕方ないが、どこか行くならもっと早く言えばよかった。そうしたら黄瀬の予定ももっと簡単に調整できただろう。

「うー、平日でもいいっスか?」

「テツにバレたら怒られっぞ」

「そうっスよねえ……あー何で六月って祝日ないんだろ。でも絶対に週末で休みとってくるっス! で、計画立てるからお願いちょっと待って!」

 両手を合わせた黄瀬に拝まれ、気圧されながら青峰は頷いた。まさかこんなに旅行に食いつかれるとは。

「別にそれは構わねえけど。……おまえのことだから、てっきり遊園地とか何かそういうとこがいいのかと思ったわ」

「そりゃもちろん、遊園地は好きっスよ? でも別に青峰っちは遊園地好きじゃないじゃん」

「んー、まぁな」

「だからいいんス。遊園地なら今までと同じように、遊園地が好きな桃っち達と一緒に行くし。でも青峰っちと行くなら、青峰っちも楽しめる場所じゃなきゃヤダ」

 黄瀬は定期的に桃井や黒子達と遊園地に行っている。昔は青峰も荷物持ちとか場所取りとかで何かと駆り出されたが、近年はお役目ごめんだ。遊園地の乗り物のほとんどがダメな火神も同様で、最近は行っていないようだ。いつも黄瀬が笑顔で帰って来るものだから、自動的に好きで行きたい場所だと認識していた。

「ふーん。で、俺も楽しめる場所ってどこだよ」

「う、それは……今から考えるっス! だからちょっと待って!」

「はいはい。まぁ精々期待しとくわ」

「ウソあんまり期待してないでしょ! マジで真剣に考えるっスから!」

「してるって」

 頬を膨らませて抗議する黄瀬を適当にあしらい、18の数字を赤い丸で囲んだ。祝ってやるのが何回目か数えようとして、すぐ両手じゃ足りないことに気付いてやめた。11回目だろうが12回目だろうが、大した違いはない。歳をとるとあっという間に年月が経っていく。あと何回一緒に祝ってやれるんだろうかと考えそうになったが、あまりにも検討がつかない。来年この家に黄瀬がいなくても本来はおかしくない。しかし数年後にまだいても、おかしくない気がしてしまう。先のことを考えるのは苦手だ。

 

 

 

 梅雨の最中であるにも関わらず、その日は恐ろしいほど快晴だった。マンションのエントランスを抜けて外に出た瞬間、眩しさに青峰は目を細めた。

「お出かけ日和っスねー!」

「昼寝日和だろ」

「青峰っちは晴れでも雨でも昼寝してるじゃん」

「まぁな」

 車のドアを開けると、中からは熱気が押し寄せてきた。夏になる度、屋外の駐車場であることが悔やまれる。黄瀬は助手席に乗り込んで、意気揚々とカーナビをセットし始めた。

 誕生日後の土曜日である今日、黄瀬は宣言通り休みをとってきた。二日休みたいと粘ったらしいが、詰まったスケジュールの中で一日休みを取って来られただけでも驚きだ。今日一日は文句を言わず、青峰は黄瀬の希望に従うことになっている。そうするよう、桃井にきつく言い含められている。

「できたっス! 出発進行ー!」

「おー」

「青峰っちやる気ない!」

「おまえがテンション高すぎんだろ」

「だってずっと楽しみにしてたんだもん。あーでも、12時間後はもう帰ってるって思うと寂しいっス」

「出発前から帰ること考えてんなよ」

「はーい」

 黄瀬の返事と共に、車を発進させた。カーナビの案内に従って走らせる。最初の目的地までは三時間ほどらしい。

 土曜午前の高速道路の下りは、外出する人でそれなりに混雑していた。渋滞というほどではないが、車が連なっているのでスピードを出すことは出来ない。

 道中では黄瀬がひっきりなしに話をした。ここ一週間ほど、スケジュール調整のために忙しくしていたから、話したいことも溜まっていたらしい。オフで特段何もなかった青峰は、相槌と共に聞くばかりだった。

 

 途中で一度休憩を取り、目的地にはほぼ予定通りの時刻に着くことができた。あたりはすっかり田舎の町並みで、四方に山が見える。赤司おすすめの料亭だというお店は、その風景によく馴染む佇まいだった。青峰の格好はTシャツにジーンズというラフなもので、料亭の雰囲気とはまるであっていない。しかしそれを気にするような性格ではないので、怯むことなくお店の中に入っていく。

 黄瀬が青峰の名前で予約していたため、青峰が入口で名前を告げるとすぐに席へ通された。高級料亭らしく襖で仕切られた個室だ。着物に身を包んだ案内係はよく教育されていて、ちぐはぐな組み合わせであろう黄瀬と青峰の二人を見ても訝しむ様子を全く見せなかった。果たして一体どんな関係に見えているのだろうか。親子というには、黄瀬の見た目は大人びているのに比べ、青峰は釣り合うほど歳を重ねていない。かといって歳の離れた兄妹にしては似ていなさすぎる。精々親戚といったところか。恋人という選択肢が頭をかすめたが、その可能性を考えたくない青峰は、意図的に排除した。

「青峰っちー?」

「あ、わり」

「久しぶりに長く運転したから疲れちゃったっスか?」

「いや、腰下ろしたら眠くなったわ」

 心配そうな顔で窺ってくる黄瀬を適当に誤魔化した。

「今日だけは寝ないで頑張って欲しいっス。はいメニュー」

「おー」

 渡されたメニューをざっと眺める。値段別に四種類の献立が記されている。赤司のオススメなだけあって、チェーン店と比べて値段の零が一つ多い。

「おまえどれにすんの?」

「一番上のやつっス」

 メニューは上から順に安いものが並んでいた。一番上のは、最低限の品を揃えた組み合わせだった。

「遠慮すんなよ」

「ふつうにお腹いっぱいになっちゃうっスよ。青峰っちはもっと食べるでしょ? だからちょっとちょうだい」

「あっそ、了解」

 係を呼び出して、一番安い献立と、二番目に高い献立を頼んだ。注文を受け微笑んで下がる女性の顔色を窺ったが、何を思っているか青峰にはこれっぽっちも分からなかった。

「赤司っちのオススメなだけあって、やっぱりなんか普通のお店とは雰囲気違うっスね」

「だな。これで赤司ときたら肩こりそうだわ」

「あはは、赤司っちとだったら正装させられるっスもんね。それはそれで見てみたいっスけど。普段青峰っちとあんまり外食しないから、何か新鮮っス」

「そうかもな。別に俺はもっと外で食ってもいいけど、おまえ嫌がんじゃん」

「イヤっスよ。だって美味しいとこでちょくちょく食べてたら青峰っちの舌が肥えちゃうじゃん。ただでさえ火神っちの美味しいご飯を食べ慣れちゃってるのに」

 わざとらしく溜息を吐いて、黄瀬は嘆いてみせた。忙しいときであっても、時間をやりくりして黄瀬はかかさず夕飯を作っていた。いまは時間に余裕のある青峰も多少は手伝うが、工程の八割は黄瀬の手によって行われる。たまに出前や外食を提案してみても、黄瀬が嫌そうな顔をするのでほとんど実現されない。青峰っちがそっちの方がいいならいいよ、と微妙な顔で言われたら、別にそういうわけじゃないと引き下がるしかない。てっきり黄瀬が外食の味が嫌いなのだと青峰は思っていたが、どうやらそういう訳ではなかったらしい。

「舌が肥えたらダメなのかよ」

「ダメっス! だってそしたら美味しいのハードルあがっちゃって、オレの料理まずくなっちゃうじゃん」

「いや、別にまずくはなんねーだろ。どんな極論だよ。あ、そういや言おうと思ってたんだけど」

 ご飯の話の流れで、青峰は言いそびれていたことを思い出した。黄瀬が首を傾げる。

「え、なんスか?」

「おまえしばらく飯つくんなくていいから」

「えっ……やっぱりまずいんスか!? オレなんかし……あっ、もしかして最近のおかず手抜きしがちだったからっスか!? やなとこあるならなおすっスよ!」

 さっと顔を蒼白にさせた黄瀬が、机に身を乗り出してまくしたてる。きゃんきゃんした声に顔を顰めそうになるのを、青峰は必死で堪えた。

「ちげーよ、何年おまえの飯食ってると思ってんだよ。じゃなくて、飯作ってる暇あったら寝ろ。今日空けるために前後に予定詰め込んだんだろ。隈隠してまで飯作んなつってんの。火神んちからおかずくらいもらってくっから」

「うぇ、知ってたんスか」

「まぁな」

 自らの眼の下に手をあてて、黄瀬は気まずそうな顔をした。化粧で巧みに隠されてはいるが、常より陰った色をしている。

「じゃあ五日間だけ」

「隈が消えるまで」

「うぅ……」

「おまえ仮にも顔で仕事してんだろうが」

「はぁい」

 青峰が呆れた声で指摘すると、黄瀬は渋々返事をした。先に牽制しておかないと、ぶっ倒れるまで動き続けそうな危うさがある。自己管理も仕事のうちだろうが、理解しているのかどうかは知らない。

「火神っちのごはん好きになっちゃダメっスよ」

「今も飯は好きだけど」

「ダメっスー!」

 机を拳で軽く叩いて黄瀬が喚いていると、料理が運ばれてきたのでその話は終わりとなった。

 順々に運ばれてくる料理は、文句なしの美味さだった。不定期に食べる機会のある、高級料理の味だ。かといってこれが毎日続いたら、青峰は飽きてしまうだろう。黄瀬や火神の作る料理は繊細な高級料理とは違いざっくりした味付けだが、よく舌に馴染む。外食の味が好きでないのは、案外青峰の方かもしれなかった。

 全て綺麗に平らげて会計の段階になると、黄瀬が僅かに申し訳なさそうな顔をした。指先で眩しい色の頭をこづく。誕生日プレゼントの代わりだと言っているのだから、大人しく奢られておけばいいのだ。大体、その耳にはまった粒のような青い石の方が、料亭の会計より高い。勿論当人には言わないけれど。

 

 ナビの案内で次に連れていかれた場所は、片田舎の運動公園だった。敷地が余ってるとしか思えない広い公園の一角に、バスケットコートが作られている。地面はちゃんと舗装されているのに、使用している人はいなかった。

「こんだけ設備揃ってんのに勿体ねーな」

「田舎っスからねー」

 黄瀬は車内で外出用の服から運動着に着替えを済ませていた。二人とも外用のバッシュに履き替え、準備体操を始める。

「しかしおまえ、せっかく遠出してまでバスケって」

「別にいいじゃないっスか! これなら青峰っちもオレも楽しいじゃん。それにここならギャラリーいないし」

「まぁそうだな。いっつもどっからあんなに人集まってくるんだか」

 都内でストバスをすると、少ししたら必ず人だかりが出来てしまう。青峰も黄瀬も顔は知られているし、プレイをすれば尚更目立つ。時には火神や黒子が加わるのだから、注目されてしまって当然だ。その点ここは広いばかりで人の気配はほとんどなかった。先程から犬の散歩をしている年配者と、ジョギングをしている若者しか見かけていない。

「今日はとことん付き合ってもらうっスよ!」

「おー、おまえがくたばるまで付き合ってやるよ」

「そして今日こそ勝つっス!」

「それは無理だわ」

 青峰が鼻で笑っても、黄瀬の瞳は好戦的なままだった。バスケを教えてやった相手が、諦めずに挑んでくる。向き合う瞬間は何度だって背筋が粟立った。

 休憩も挟んで一時間半もすると、息を切らした黄瀬がコートの上に寝転がった。肩と腹部が呼吸に合わせて大きく上下している。

「あー、なんで勝てないんスかぁ……」

「だから十年早ぇっつーの」

「十年たってるっス」

「おまえそれ何歳から数えてんだよ」

「バスケ始めたときから」

「ばぁか」

「今日のために、青峰っちが負けたときの試合とか見て研究したのに……」

「それはやめろ」

 負け試合の数は当然年々に増えていくが、どれも記憶から消えることはない。砂を噛んでいるような苦々しさを、鮮明に思い出すことが出来る。

 コートの端にある自販機で黄瀬の好きなミネラルウォーターを買い、青峰は黄瀬の頬に押し付けた。

「ほら、水分とれ」

「はーい」

 上半身を起こした黄瀬が、ミネラルウォーターを受け取ってこくこくと飲み干す。よく晴れていたせいで、着ていたTシャツは汗ですっかり色が変わってしまっている。肌にべとりとはりつく感触が不快で、青峰はTシャツを脱いだ。

「えっ、青峰っち着替えちゃうんスか!?」

「もう終わりだろ」

「もっかい! もっかいやろ!」

「五回くらい前からそう言ってんじゃねぇか。今日は終わりにすんぞ。足限界だろ」

「そんなことないっス」

「ある」

「ない……っひゃ!」

 聞き分けのない黄瀬に、青峰が脱いだTシャツを投げつけた。顔面に直面して、奇声があがる。

「ストバスくらいまた来ればいいだろうが。行かないっつってんじゃねぇんだから」

「うー……、絶対っスよ」

「はいはい」

 拗ねた顔で座り込んだままの黄瀬を引っ張って立たせ、ベンチに置いた荷物を取りに向かう。影の方向は始めたときに比べ、随分動いていた。

「青峰っちぃ」

「んだよ」

「これ臭い」

「うっせえ」

 両手で持たれたTシャツを青峰が奪い返した。わざわざ匂いを嗅ぐようなものではない。臭いと言いながら、黄瀬は笑っていた。

 

 西の空が橙に染まる頃、辿り着いたのは空を渡る乗り物だった。さほど高さはないし、作られてから年月が経っているせいで綺麗とも言い難い。誰も乗せている気配のない観覧車は、それでもゆっくりと回転していた。

「青峰っちー、写真撮ろ!」

「おー」

 駐車場から観覧車の乗り場に行く途中、黄瀬が携帯を持った手を振った。一足遅れてついて来た青峰が黄瀬に追いついて、観覧車を背にして横に並ぶ。黄瀬が携帯をやや下に構えて、思い切り手を伸ばす。

「青峰っちもっと屈んで」

「はいはい」

 青峰が画面の中に収まると、角度を調節して黄瀬がシャッターを切った。かしゃりと音がしたが、まだ手を下ろそうとしない。

「青峰っちぶっちょーづらっスよ。もっと笑ってー」

「うっせぇ。生まれつきこの顔だ」

「うそだぁ。桃っちに中学のときのアルバム見せてもらったことあるっスよ!」

「っ……はぁ!?」

 思わず青峰が吹き出すと同時に、再びかしゃりと音が鳴った。わざと青峰を挑発するようなことを言ったのは明白で、ぐっと喉がつまった。

「黄瀬てめぇ、撮ってんじゃねぇよ!」

「あっはは、変な顔!」

「消せこら」

「イヤっスよー」

 携帯を青峰に奪われる前に、黄瀬は小走りに駆けていった。青峰は後をついていって、観覧車の乗り場で大人二人分の料金を払った。高校生は割引料金があったが、気まずくて言い出せなかった。係員は尋ねもせず、大人二人で通してくれた。

 観覧車の中は空調がきいており、くすんだ見た目の割に快適だった。ただし青峰の身長では、ゴンドラがやや窮屈だ。向かい合った黄瀬と膝がぶつかりそうになるのを、うまく位置を調整して防いだ。

 ゴンドラはするすると上昇していく。外から見ているよりも、中から景色を見る方が速く動いているように感じられる。しかし立地の関係上、見える景色は山と民家ばかりだ。

「観覧車って何楽しむものなんだよ?」

「そりゃ、景色とか、高さとかじゃないっスか?」

「あー、ばかと何とかは高いところが好きって言うしな」

「ばかじゃないっス! ていうかそれ伏せる方間違ってるし」

「景色も山なんか下から見えるだろ」

「オレが見たいのは山じゃなくて海っス!」

「海ぃ?」

 左右どちらを見ても、海らしきものは見当たらない。夕陽に染まる自然だけだ。

「もうちょっとしたら海が見えるはずなんスよ。オレ、都心以外で海が見える観覧車探したんスもん」

「ふぅん?」

 生返事をして、青峰は山がそびえたっていない方の風景に目線を移した。ゆっくり昇るゴンドラは半分の高さまで来ている。遠くを見ようとすれど、同じくらいの高さにある建物や木々に阻まれてしまう。

「あっ」

 黄瀬が歓喜の声をあげると同時に、今までの景色の奥に水面が現れた。夕暮れの光を浴びて、橙と青の明暗のあるグラデーションが広がる。

「ほら、海っスよ! 見て青峰っち!」

「おー、見てる見てる」

 窓に張り付いて、黄瀬が歓喜の声をあげた。西日に包まれて、頬は海と同じような橙に染まっていた。

「本当は太陽が海に沈むところが見たかったんスけど、この辺だとあんまりないらしいんスよね。もっと、えっと、上? の方とか行かないと」

「んじゃ次はそっちの方に行くか」

「え」

 海を見つめていた黄瀬が顔を動かして、青峰を見上げた。眼がぱちぱちとしばたく。

「なんだよ」

「次があるんだって思って」

「あー、もしあればの話だよ」

 指摘されてはじめて、次があるのが当然のように考えていたことに気付いた。それを黄瀬に知られたくはなくて、適当に誤魔化した。

「あっていいっスよ。また行きたいところ考えとくし。あ……そろそろてっぺんっスね」

 外の支柱が垂直になって、前と後ろのゴンドラより高い位置になる。黄瀬が携帯で海の写真を一枚撮影した。そのまま携帯のカメラを青峰に向けた。

「おい」

「いいじゃないっスか、はいポーズ」

 青峰が無表情のままでいると、かしゃりと今日何度目かの音がした。ブログのために自分を撮るなら分かるが、他人を撮ってどうするのか。

「撮ってやろうか」

「別にいいっス。自分の写メあってもつまんないし」

「俺の写メもつまんねぇだろ」

「そんなことないっスよ。後で見たとき、青峰っちだけ写ってても撮ってるのは絶対オレじゃないっスか。そしたら、一緒に行ったんだっていう思い出になるし」

「そうかぁ?」

「そうっス。外から見ても思ったけど、やっぱりあんまり高くないっスね。まぁ青峰っちと乗って海見れたから満足っスけど」

 携帯の画面を細い指でなぞる黄瀬は、本当に満足そうな笑みを浮かべていた。観覧車が低くなるに連れて、ゴンドラに差し込む光は少なくなっていく。薄明りの中、とうとう海は建物の陰に姿を消した。

「見えなくなっちゃったっスね」

「おまえさ」

「ん?」

 海側に向けていた身体を直し、正面に向き直って黄瀬は首を傾げた。目があった途端、青峰は自身が何を言おうとしていたのか分からなくなった。頭で分かっていないのに、口が勝手に動く。

「おまえ、まだ俺のこと好きなわけ」

「好きっスよ」

 即答だった。名前や年齢を尋ねられたかのように、既に決まっている事を答えているかのようだった。でも決して軽い声色ではなく、言葉は意味を持っていた。細められた眼と、緩やかな弧を描く唇。丸い頬には夕焼けのせいでなく、赤みが差している。何か愛しむような、それでいて切なさを含む、青峰の知らない表情だった。一体いつの間に、こんな大人びた表情をするようになったのだろうか。聞いたにも関わらず、青峰は言葉をなくした。返ってくる答えを知っていた癖に、何も応えを用意していなかったからだ。ふっと吐息だけで黄瀬が笑う。

「青峰っちってズルいっスよね」

「は?」

 好きの直後にズルいと言われ、青峰は困惑した。ズルいことをした覚えはない。

「別に俺のこと好きじゃないってつっぱねる癖に、そうやってオレには好きって言わせるじゃないっスか。オレが自分から好きって言うときには、聞く耳持ってくれないのに。ズルいっス」

 確かに、青峰はごく稀にではあるけれど、何度か黄瀬に好きか尋ねたことがある。その意味なんて自覚していない。ただいつも、突然聞きたくなるのだった。答えを知っているからこそ、青峰は黄瀬に尋ねては好きを確認した。その行為を意識したことはなかったが、言われてみればじわじわ気まずさが這い上がってくる。

「……わりぃ」

「謝んないでよ。謝るくらいなら、オレのこと好きになって」

 半ばはずみで青峰が謝ると、黄瀬は真剣な表情で訴えた。夕陽を閉じ込めた瞳は、バスケで向き合うときと同じ熱を湛えていた。一瞬だけ、青峰は息をすることを忘れた。二人きりの空間に、ひゅっと息の音がした。直後、大真面目な黄瀬の表情がくしゃりと崩れた。

「なーんて、冗談っスよ」

 ちょうどゴンドラが地上に戻って来たのをいいことに、ドアを開けて黄瀬は外に出てしまった。黄瀬はいつだって肝心なところで逃げようとする。そして青峰はそれに甘えていた。いつまで許されるのだろうか。

 

 本来ならあたりを闇が覆うはずの時間でも、道路の両横で光る照明と連なる車のライトで、高速道路は人工的な明るさに包まれていた。行きの賑やかな車内とは反対に、帰り道はエンジン音ばかりが耳についた。

 都内に入ると、帰宅ラッシュで道路は渋滞していた。じわじわとしか進まないこの状態が、青峰は苦手だった。アクセルでもブレーキでも、しっかり踏み込んでいる方が気持ちがいい。今の青峰と黄瀬との関係も同じだった。青峰はアクセルもブレーキも踏めずに、ゆるゆると惰性で動き続けている。いつかどちらかを踏まなければいけないのに、いつまでたっても決心がつかない。交互に足を置き換えてみては、間違っている気がして踏み込めないままだ。

 前の車のブレーキランプにあわせて、青峰はブレーキを踏んだ。完全に車が停止すると共に、左後ろに首を向けた。薄闇の中、黄瀬と確かに目があった。運転のためを装って、青峰は前方に顔を向け直した。横から黄瀬の視線を感じる。

「静かだからてっきり寝てんのかと思ったわ」

「寝れないっスよ……もったいなくて」

 静かな車内に響く黄瀬の声は甘やかだった。前の車が動き出したのをいいことに、青峰は返事をしなかった。代わりにアクセルをゆっくり踏み込んだ。

 

 

***

 

 

 

 青峰が冷蔵庫を覗くと、作り置きの麦茶が切れていることに気付いた。習慣で黄瀬を呼ぼうとして、喉まで出かかった声を飲み込んだ。二十分ほど前から、黄瀬は誰かと通話をしている。聞いている感じだと仕事の関係者だろう。インターハイが終わった後の夏休みを利用して、黄瀬は仕事の割合を増やしていた。明るく朗らかな声だが、よそ行きの声だと青峰は知っている。声だけしか伝わらない相手には分からないだろうが、ソファに寝転がった体勢で台本を見ながら通話している。黄瀬は何か喋るというより相槌ばかりだし、通話している奴はそろそろ相手にされていないことに気付いた方がいい。

 仕方なく自分で麦茶を作ろうと、青峰はやかんでお湯を沸かしはじめた。五分ほど経ってお湯が沸いても、なお電話は終わらない。麦茶のパックを求めて適当に棚を開けてみても、ぱっとは見当たらない。

「きーせー」

 通話が全く重要そうでないので、青峰はやや控えめに声をかけた。ぱっと黄瀬が顔をあげる。青峰が用件を伝えるより先に、黄瀬が電話口に向かって喋りだした。

「あっ、ごめん、ちょっと呼ばれたから切るね。……うん、じゃあまた明日」

 通話を終えて、黄瀬はソファから身体を起こした。呼ばれて嬉しそうな顔でぱたぱたとキッチンにやってきた。

「どうしたんスか?」

「麦茶のパックどこ? つか、電話切ってよかったのかよ」

「あー、いいんスよ。切るタイミング探してたし」

 棚から麦茶のパックを取り出して、黄瀬は苦笑した。確かにちっとも楽しそうな様子ではなかった。かといって、いざ自分のせいで切られるとやや気が引けた。

 

 遠慮を感じたのも初日だけだった。電話は翌日も翌々日もかかってきて、大して内容もなさそうな通話を三十分ほど続けていた。相手はいま映画の撮影で共演している、同年代の若手俳優らしい。通話を終えた黄瀬が、ふぅっと溜息を吐く。

「疲れるならもっと早く通話切れよ」

「でも毎日顔合わせるから、あんまり邪険にもできないじゃないっスか」

「つか毎日顔合わせてんのに何で毎日電話かかってくんだよ。現場で話せばいいじゃねえか」

「んー、そうなんスけど……なんか向こうがオレのこと好き? っぽくて?」

「は?」

 好きという単語の意味が瞬時に理解できなくて、一瞬青峰は首を傾げた。直後、吹き出して笑い始める。

「ちょっ、マジかよ! 好きって、おまっ……面白すぎんだろ! くっそ、腹いてぇ。やべぇここ最近で一番のヒットだわ」

「何で爆笑するんスか!? オレだってそれなりにモテるんスよ!」

 青峰とて黄瀬の顔がよくて、外では愛想も聞き分けもよいことを知っている。しかしいざ好きになられたという話を聞くと、おかしくて仕方なかった。

 それ以降、青峰は電話がかかってくると、黄瀬に無闇にちょっかいをかけるようになった。用がなくても名前を呼んでみたり、頭をぐしゃぐしゃと撫でてみたり、日によってまちまちだ。黄瀬は青峰に遊ばれているのを分かっていて、逆にそれを利用して電話を切ることが多かった。

 

 すっかり恒例となった電子音がリビングに響いて、さて今日は何をしてやろうかと青峰は考えた。しかし携帯のディスプレイを確認した途端、黄瀬の顔色が変わった。

「笠松先輩!? どうしたんスか、先輩から電話って珍しいっスね。いま大丈夫っスよ。先輩のためならいつでもオッケーっス!」

 声は弾んでいて、喜んでいるのが分かりやすい。最近おざなりな声ばかりきいていたから、その差は極めて顕著だった。

 青峰の妨害を警戒してか、黄瀬は立ち上がってリビングから出て行った。自室に行ったのだろう。避けられたことにむっとして、青峰はソファを蹴飛ばした。案外痛くて、爪先を押さえるはめになった。

 笠松は一年以上前に海常を卒業したにも関わらず、未だに黄瀬と連絡を取り合っているようだった。今は大学バスケで活躍をしている。何度か見たことのある黄瀬と笠松が並んでいるところを思い出し、青峰は溜息を吐いた。女子としては高身長の黄瀬と並んでも、笠松との間には適度な身長差がある。黄瀬のように目立つ顔立ちではないが、笠松は少年から青年に変わる途中の精悍な顔立ちをしている。知らない者が見れば年相応のカップルに見えるだろう。青峰は力を加減して、もう一度ソファを蹴った。

 

 連日の電話は台本に目を通すついでに行われていたが、今日は台本のかわりに夏休みの宿題が広げられていた。あと三日で長かった夏休みも終了となる。三年生なので数は多くないが、黄瀬は仕事で学校を休んでいる代わりにもらったプリントがあるようだった。電話の返事はいつも以上に適当だ。うん、の回数を青峰は数えていたが、それも飽きてしまった。

「んー……そうだねー」

「黄瀬」

「ん? わっ、んむっ、んぐんぅっう!? んんぅー」

 いつもより大きな声で黄瀬を呼んだ青峰は、背後から黄瀬の口を手のひらで塞いだ。携帯を取り上げて通話終了を押してから、声を出せず喚く黄瀬の口を解放した。

「ぷはっ……何するんスか!」

 今まで青峰がちょっかいを出してきたことはあっても、直接的に妨害してきたことはなかった。黄瀬は通話が切れてしまった携帯と青峰の顔を見比べて、困惑の表情を浮かべる。

「話す気がないなら切ればいいだろ」

「それにしても切り方があるじゃないっスか……またかかってくるかも」

「かかってこねぇよ」

 きっぱりと断言する青峰に対し、黄瀬が訝しげな顔をする。

「何でそんなこと分かるんスか」

「勘」

「なんスかそれ。あー、明日どうしよー」

「明日で最後なんだろ」

「そうっスけど、そういう問題じゃないっス!」

「大丈夫だって」

「もー、青峰っち意味わかんないっス」

 黄瀬は頬を膨らませてみせたが、わざわざ自分からかける気はないらしく携帯を放り投げた。再び宿題に取り掛かりはじめた黄瀬に満足して、青峰は黄瀬の見えないところでよしと頷いた。たとえ黄瀬にその気がなくとも、自分より他の男をかまっているのは面白くなかったのだ。

 

 

***

 

 

 

 九月末にもなると、大分夏の気配は薄れて夕方には気持ちの良い風が吹くようになった。青峰と並んで歩く黄瀬が、思い切り背伸びをした。手を上にあげても青峰の身長までは届かない。

「はーっ、もうすっかり秋の気配っスね」

「だな。来週からリーグ戦だし」

「早いっスよね。でも始まる前にストバス行けてよかったー」

 来週の週末からはプロバスケのリーグ戦が開幕する。青峰と火神の予定がつかなくなってしまう前にと、青峰、黄瀬、火神、黒子の四人で久しぶりにストバスに行ってきた。青峰や火神が家を決めるときこの地域を選んだのは、ホームの体育館に近いと同時に、徒歩圏内にストバスのできる場所があったからだった。その判断は正解で、オフシーズンになると連日のように青峰と火神はワンオンワンをしていた。

「動いたらお腹すいたー。青峰っち、夕飯何がいいっスか?」

「んー、付き合うか」

 つい先日も青峰と火神は二人でストバスをしにいった。ふと思い出したように火神に黄瀬のことをどうするのか尋ねられて、青峰は答えられなかった。今まではどうもしないと即答していたのに。

 マンションのエントランスでオートロックを解除しながら、脈絡のない回答に黄瀬が不思議そうな顔で首を傾げる。

「買い物に?」

「買い物は行くけど、ちげぇよ」

 エレベーターの昇りボタンを青峰が押して、開いたドアの中に二人で乗り込む。

「じゃあどこっスか?」

 自宅の階数と、続けて閉めるボタンを押す。二人を乗せたエレベーターがゆっくり上昇を始める。

「場所じゃなくて、俺とおまえが」

「えっ」

 反射で声をあげた黄瀬が、瞳をぱちぱちと瞬かせた。自宅の階に到着し、停止したエレベーターがドアを開いた。

「……えっ?」

 ぽかんと口を開いた状態で硬直している黄瀬の腕を引っ張って、青峰はエレベーターの中から連れ出した。鍵を出す様子がないので、ポケットからキーケースを取り出した。黄瀬から何年か前に貰ったものだ。

「何だよその反応、嬉しくねえの」

 上下に二つついた鍵を開けながら、突っ立っているだけの黄瀬に尋ねる。

「や、嬉しい、っスけど、唐突すぎて全然頭ついていかないし」

 ドアを開けても黄瀬は動く気配がないので、玄関に引っ張り込んだ。先に靴を脱いで中に入ると、少しして慌てた声が追いかけてきた。

「う、あ、青峰っち待って!」

 どこにも青峰の逃げ場なんてないというのに、黄瀬は小走りでリビングまでやってきた。運動後という訳でもないのに息をはずませ、顔を赤く染めている。

「え、オ、オレのこと好きになってくれたんスか?」

「わかんねぇ」

 黄瀬と観覧車に乗ったときのことを青峰は思い出した。冗談だと黄瀬は誤魔化したが、好きになってという言葉は真剣そのものだった。好きになれるかどうか、青峰は三ヶ月間ぼんやりと考えていた。好きになったかと問われれば、正直よく分からない。それでも、好きになれるとは思った。

「じゃ、じゃあ抱いてくれる気になったんスか?」

「それはねえ」

 自身のハーフパンツを握る指先は微かに震えている。怯えながら聞く必要のないことを聞くなんて、そういうところはまだまだ子供だ。

「ええぇ、じゃあ何なんスか」

 何、と問われると青峰も困ってしまう。あらゆる選択肢を並べてみて、消していって、残った中から一つ手に取ってみただけなのだ。違う選択でも上手くいくだろうし、もしかしたらその方がいいのかもしれない。しかし青峰がいま選んだのは、付き合ってみるという選択肢だった。

「嫌ならなかったことにすんぞ」

「やだ! あ、やだってそういうことじゃなくて、イヤじゃないっス! ん、んん?」

 自分で発した言葉の意味に混乱して、黄瀬は目を白黒させた。あまりにもその様子が必死で、青峰は思わず噴き出した。笑いを押し殺しながら、黄瀬の真っ赤に染まった頬を撫でる。滑らかな感触と、青峰の手の平より熱い温度が伝わってくる。

「分かったから、ちょっと落ち着け」

「ムリっス……付き、合うって、何するんスか」

「さぁ、考えてねえ」

「さぁって……」

 何かをしたくて、青峰は黄瀬に付き合うかと言った訳ではなかった。ただ、思考がそれ以外の選択では行き詰ったのだ。

 黄瀬のいない未来を考えようとしたとき、どうしても上手く思い描けなかった。黄瀬がいなかった十年以上前の自分にはもう戻れない。そして黄瀬を他の誰かにやるのも、黄瀬が他の誰かを見ているのも、かんに障る。

 黄瀬のいる未来に、他の女はいなかった。約二年前、黄瀬との約束で断ち切ってしまったからだ。どうでもいい女よりは、黄瀬の方がよほど大切だった。青峰はおっぱいが好きだったけれど、女への執着はさほどなかった。いなくても案外どうにでもなった。

 ましてや黄瀬は、青峰のことが好きだった。その手を払いのけるより、取る方がずっと簡単だった。青峰が黄瀬を好きかどうかはともかく、大事に思う気持ちだけは嘘じゃなかった。最近の黄瀬は、時折青峰の知らない表情を見せるようになった。そんなとき青峰の胸はざわついて、黄瀬を自分の元に繋ぎとめておきたくなった。子供じみた独占欲だ。

「おまえは何したいわけ?」

 聞き返すと、黄瀬は僅かに視線を逸らした。口を開きかけて閉ざしたのを青峰は見逃さず、言うように促した。

「手、繋ぎたいっス……外でも」

「へえ」

 小声でもごもごと黄瀬が喋った。俯いた顔の中で、耳の赤さだけがやけに目につく。

「あと、一緒に寝てもいいっスか」

「おまえ今だって潜り込んでくるじゃん」

 体調が悪いときや落ち込んでるとき、黄瀬はそっと青峰のベッドに潜り込んで、青峰が起きるより早く出て行く。青峰は気付いていないフリをしてやっているが、本当に気付いていない訳ではないと、黄瀬も分かっている。しかしいざ指摘されると気まずくて、黄瀬は言葉に詰まった。

「う、そうっスけど……じゃあキスしてくれるっスか」

「んー、その気になったら?」

「それっていつっスか」

「さぁな」

「もー!」

 あまりにも適当な青峰の反応に、黄瀬は頬を膨らませた。すぐに頬はしぼんで、くすりと笑いが漏れる。

「青峰っちのせいで全然現実感ないんスけど」

「俺もねえわ」

「なんスかそれ。でも、何か……泣きそう」

 震え声黄瀬が片手で口をおさえ俯いた。目尻にはゆっくり水滴が浮かんできた。瞳の金色がゆらめく。空いている方の黄瀬の手が、青峰のTシャツの裾を握りしめる。それが今の黄瀬にできる精一杯だった。青峰が一歩分の距離を詰めてやると、黄瀬は青峰の胸板に顔を押し付けた。震える背に青峰は腕をまわした。

「青峰っち、好き」

「知ってる」

 今まで受け流し続けていた黄瀬の告白を、初めて青峰が肯定した瞬間だった。一度静まりかけていた黄瀬の耳が、再び熱を取り戻す。胸元が温かく濡れる感触を青峰は感じた。

「いま、幸せすぎて死にそうなんスけど」

「はいはい、けど死ぬなよ」

 笑いながら、青峰は腕に少し力を込めた。腕の中で、黄瀬が好きと呟く。今まで押し殺していた分が溢れだしたかのように、何度も繰り返す。黄瀬の気が済むまで、好きと言わせてやった。

 

 

 

 自分の意思でなく腕が動かされるのを感じて、青峰は目を覚ました。腕を動かしたのが誰かは分かり切っていて、目を閉じたまま名前を呼んだ。

「黄瀬……?」

「わ、ごめん青峰っち、起こしちゃった?」

「や、別にいいけど……おまえ顔色悪くね?」

 どうにか瞼を開けて目に入った黄瀬の顔は、お世辞にも健康的とはいえなかった。昨晩は嬉しくて仕方ないみたいな、頬の緩み切った顔でベッドに入っていたのに、どうしたことか。血色が悪いのは朝のせいにしても、大きな目の下に出来た陰はおかしい。

「寝れてねえの?」

 自惚れではなく、自分の隣が黄瀬の一番落ち着く場所だと思っていた青峰は、動揺で眠気が飛んだ。引き結ばれた唇がわなないて、声が零れ落ちる。

「青峰っち……」

「おう、どうした」

「あの、あのね。おれ、一晩真剣に考えてたんスけど」

 黄瀬が畏まってベッドの上に正座をした。話を聞くために、青峰も上体を起こす。寝巻きのままベッドの上で向かい合っていると、何だか変な感じだ。

「うん?」

「オレ、やっぱり大学行かなくても、いいっスか?」

「いい……も、悪いも、俺はおまえが決めることだと思ってっけど、行くつもりでいたんじゃねえの?」

 四月は進路希望に頭を悩ませていたようだったが、その後にあれこれ調べて希望を決めたことを青峰は知っている。それが突然に覆されようとしていて、青峰は目を瞬かせた。

「一応、受ける学校は決めてたっスよ。でもそれは、行きたいからっていうより、もし行かなくて仕事が上手くいかなかったとき、何も残んないのが怖かったからなんスよ。でも、もし……」

「もし?」

 言い淀んだ黄瀬が、視線を彷徨わせる。ぐっと一度唇を噛んで、青峰を正面から見つめ直した。

「もし、青峰っちが残るなら、今は仕事をやれるところまでやってみたいっス。ダメかもしんないし、もっと上手い人に潰されちゃうかもしれないけど、そうなっても、青峰っちがいるなら怖くない」

 青峰が受け取った、今までのどんな言葉よりも、壮絶な告白だった。昨晩は黄瀬のあまりの浮かれように、本当にこれでよかったのだろうかという疑問を持った。しかし今ようやく、これでよかったんだと青峰は確信できた。明確な理由は言い表せない。ただの勘だったが、勘には裏切られない自信が青峰にはあった。

「ダメ、っスか……?」

 返事をしない青峰に不安を覚えた黄瀬が、恐々尋ねて来た。堪らず青峰は目の前にある自分よりずっと小さな身体をかき抱いた。薄い布越しに温かい体温が伝わってくる。

「わっ」

「ダメなんて言えるわけねえだろ」

 そんな酷い顔になるくらい、一晩真剣に悩んだ答えなのだ。黄瀬が望むなら、それが正解だった。

「いけるとこまでいってみろよ。んで、ムリになったらそのとき考えればいいだろ」

 そのときは面倒みてやるから、とまでは気恥ずかしくて言葉に出来なかった。青峰の肩口に埋まった小さな頭が、ぐりぐりと押し付けられる。

「ありがと……青峰っち好き」

「おー、知ってる」

 昨晩と同じ受け答えなのに、黄瀬はまた耳を赤く染めた。たったそれだけのことに、青峰は思わず笑ってしまった。

 昔は真面目に受け取っていなかったけれど、それが十二年分の好きだと青峰は理解していた。受け止めるだけでこんなに変わるものがあるなんて、つい先日までは知らなかった。正直まだ、黄瀬の好きに同じだけの好きで返せる気はしない。しかし今確かに、青峰の胸の内には愛しさが芽生えていた。

 

 

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