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100601 狡いやさしさ(文仙/3年生)

 半月が西の空へ傾いて、常ならばもう鍛錬に励んでいるような時間になった。しかし仙蔵がまだ先生のところから戻らない。普段は別に同室だからといって彼のことを気にっけたりはしないのだが、最近の仙蔵はなんというか、らしくなくてどうにも気になってしまう。おそらく先生に呼ばれたのもそういった話だろう。今日も、接近戦における演習で手合わせをした際、強引に距離を詰めてきた。結果として演習は仙蔵が勝ったが、そんな無茶をするとは思いもせず避けきれなかったおれは苦無であいつの頬に傷をつくってしまった。その罪悪感から待っているというのもある。
 一体どのような話をしているのだろうかと落ち着かない気持ちで机に向かっていると、ようやく後ろから障子戸を開く音がした。
「おう、おかえり」
 振り向いてそう言ったが、仙蔵はおれの言葉も視線も完全に無視して自らの机に向かった。おれに背をむけるように座り、無言のまま乱暴な手つきで髪の結い紐を解く。
「仙蔵?」
 先生との話で何かいやなことでもあったのかと心配して、様子を伺うように声をかけた。それでも返事はないので、そっと背をむけたままの仙蔵に近寄る。
「仙蔵、なにか」
「うるさい」
 言葉をいいきる前に、静かだが凄みのある仙蔵の声に遮られてしまった。
「私に構うな」
 突き放すような物言いに少なからずむっとする。
「人が心配してやってるのにそんな言い方はねぇだろ」
「別に心配しろなどと頼んだ覚えはない」
「なんだとっ」
 そう気が長いわけでもないおれはいよいよかちんときて、仙蔵の肩を掴み向かい合わせになるよう仙蔵の前方にまわった。鋭い目で睨まれるだろうと予想していたのだが、それとは正反対に仙蔵は力無く座ったまま俯いていた。その様子が全然仙蔵に似つかわしくなくて、先の怒りも忘れてまた酷く不安になった。
「……仙蔵?」
 覗きこむように膝をついて身をかがめると、顔を背けられた。横顔を長い黒髪が覆ってしまうせいでその表情はさっぱり読めない。
「構うなと言っているだろう」
「なんでだ」
「……あ…って……う」
「え?」
「あたってしまう、おまえに」
 あまりにも消え入るような声だったので聞き返すとそんな言葉が返ってきた。すぐには意味が飲み込めなくて僅かな沈黙が訪れる。机の上で仙蔵の小さな握り拳が微かに震えているのを見て、ようやく頭の回転が追いついた。予想もしなかった返答に一瞬なんと答えるべきか悩んでから口を開く。
「別にあたればいいだろう、おれはかまわない」
「私がかまうんだ」
 仙蔵はかたくなに視線を合わせようとしない。こんなにも弱気な仙蔵をおれはいままでに見たことがなかった、否、正しく言えば見させてもらえなかった。影では実力相応の努力をしているくせに、そんな素振りをほとんど見せなかった。ましてや弱音は尚更だ。
「おれじゃ役不足か」
「そういうことを言っているんじゃない」
「じゃあなんなんだ。おれがあたっていいと言っていて、役不足という訳でないなら何故」
「だって」
 仙蔵は何か言いかけたが、ついに俯いてしまった。黒髪がさらさらと若草色の制服におちる。続きをしばし待ったが、続く気配がなかったのでだってなんなんだと促す。
「嫌いに、なるだろう」
「はぁ?」
 こいつは一体何を言っているんだと、思わずまぬけな声がもれた。思考回路まで弱気になってしまっているのだろうか。
「今更嫌いになんかなるわけねぇだろ。なるならとっくになってる。普段から好き勝手やってるくせによくそんなこと言えるな」
「普段は加減してやってるだろう」
「いまは加減できないってことか?別にそれでもかまわん。嫌いにもなんねぇ。だから吐き出せ、ためこむなよ。口に出してみると案外すっきりするもんだぞ」
 おれにできる限りの説得を試みようと、言葉を選ぶ。日頃とは異なる様子に、純粋な心配に加えて少しばかりの好奇心も働いていた。
「おまえも先生と同じようなことを言うんだな」
「先生には話してきたのか」
「……いや」
 先生にも話していないということが、おれの好奇心を更に煽った。一体何を思い何を考えているか、今まで聞けなかった話を自分が聞けるかもしれない。なんとなくはやる心を悟られぬよう押さえつけながら仙蔵が口を開くのを待った。
「文次郎、あっちを向け」
 仙蔵は壁側、つまりいま向いているのとは反対を指差してそう言った。大人しくそれに従って身体を反転させる。
「これでいいか?」
 振り向いてお伺いをたてると、こっちを見るなと首を押し返された。灯の明かりが届かず薄暗い灰色の壁と対面しながら仙蔵が何をしたいのか検討がつかず首を傾げる。
 背後でごそごそしていた気配が消えたかと思うと、背中に僅かな重みがかかった。触れているところからじわじわ伝わってくる熱が無性にくすぐったい。
「おまえは、私が不調に見えるか」
「不調?」
 ここ最近の仙蔵がいつもと違う様子なのは確かだが、不調というのとはなんだか違う気がした。今日のようならしくない行動は度々あったが、火器の腕は相変わらずずば抜けているし、教室での授業でもその才を十分に発揮しているように見える。
「そうは見えねぇけど。不調なのか?」
「いや、私もそんなつもりはない。しかし先生は、最近の私が不調だとおっしゃるのだ」
「それで」
「そんなつもりはありませんと述べた。別に努力を怠っているつもりはないし、自惚れているつもりもない。……ただ、」
「ただ?」
 少し口ごもった仙蔵の言葉の続きを促す。
「最近、身体が思うように動かないのも確かだ。特に接近戦のとき、自分にもう少し手足の長さや力があればと感じる。こればっかりは自分の力ではどうにもならんと分かってはいるが、それでも悔しい。おまえなんかよりはるかに健康的で規則正しい生活を送っているのに、身長差がつくのも忌々しい」
 そういえば3年になってからおれは随分身長がのびた。はじめはほぼ仙蔵と変わらなかったが、夏休み明けにはなんとなくおれの方が目線が高くなって、仙蔵が苦々しい表情をしていたことを覚えている。
「それを先生には話してないのか?」
「言えるわけないだろう、この私がそんなことくらいで苛々してつい冷静さにかける行動をとってしまうなど。それにそれを不調と捉えられて、正直癪だった」
「おれに嫌われるってのは?」
「それは、その……だってかっこ悪いだろう。今更おまえにこんなことを言ったらがっかりして嫌いになってしまうんじゃないかと。それにさっきは本当にそこら辺にあるものをみんなお前に向かって投げつけてやりたいと思っていたし」
 おれに対する信頼の薄さに悲しむべきなのか、それとも嫌われたくない程度には思われていたことに喜ぶべきなのか分からない。しかし、ものを投げつけられるくらい八つ当たられててもいいと思う自分がいるのだけは確かだった。こいつにとっておれは特別なのかもしれないという後ろめたい優越感と、こいつの特別になりたいという単純かつ愚かな欲望が、おれの中に存在している。
 一体どんな顔でこの話をしているのだろうか。また好奇心がわき上がってきて、つい身体ごと後ろを向いた。
「っ、こっちを見るなと言っただろう!」
 顔を覆おうとした仙蔵の手を畳に押さえつけて、無理矢理顔を覗き込む。ぼそぼそとした声で話していたからひょっとしたら泣いているのではと僅かに期待していたが、そんなことはなかった。仙蔵はなんというか、こういうときにどういう顔をすればいいか分からない、といった顔をしていた。膝立ちでじっと見つめると睨まれた。ああこれならもう平気だろう。ほっと胸をなでおろす。睨まれるのには慣れきってるので気にせず仙蔵の前へと回り込んだ。
「じゃあおまえは接近戦ではなく中距離を得意にすればいい」
「そういう問題じゃない」
「なんでも一番じゃないといやか」
 少し強めの口調で言うと、仙蔵は押し黙ってしまった。
「別に接近戦を苦手にしろと言うつもりはない。けど試験は二人一組のことが多いだろう?おれは接近戦は得意だが中距離はそうでもねぇ。でもおまえはおれの苦手な中距離に長けている。今日の授業では苦無と体術だけだったが、実際の任務では何を使ってもいいんだ、自分の長所をのばすのは当然のことだろう」
「……確かに、おまえのいうことには一理あるな」
「だろう?だから、その、身長だとか体格だとかあんまり気にすんなよ。身体なんておれもおまえもまだまだ大きくなる」
「ああ、わかった」
 部屋に帰ってからずっと強ばっていた仙蔵の表情がようやく少し緩んだ。つられておれも頬を緩める。心なしか張り詰めていた空気も柔らかくなって、ふと仙蔵の頬の傷が気になった。白くきめ細やかな肌に浮かぶ赤い一本の線は酷く痛々しかった。仙蔵の手を押さえつけているのとは反対の手を持ち上げて、親指の腹でそっと傷をなぞる。一瞬だけ眉が潜められる。
「痛いのか?」
「痛いぞ、おまえが掴んでいる手首がな」
「あっ、わりい」
 慌てて掴んだ手を離す。すぐに消えるだろうがうっすらと赤みを帯びてしまった。
「頬の傷は」
「こんなかすり傷、痛いわけないだろう。おまえが行けというから医務室にも行ったが、新野先生もかすり傷だから痕にはならないとおっしゃってた」
「そうか」
 痕にでも残ったらこいつの顔を見る度に罪悪感に襲われるところだった。あからさまにほっとしすぎたからか、仙蔵が睨みをきかせながら口を開いた。
「おまえ、私に傷をつけるのがこわいからと言って手を抜いたりしたら承知しないからな」
「わかってる。おまえ相手にそんな余裕もねぇから安心しろ」
 そんな余裕もないから逆にこわいのだが、それは言わないでおく。余裕になれるくらい、今日みたいなことがあっても仙蔵を避けられるくらい強くなりたい。
「文次郎」
 ひそかにそんな決意をしていると声をかけられたのでどきりとした。
「なんだ」
「眠い」
「それはつまり布団を敷けと言ってるのか」
「当たり前だろう」
「しょうがねぇな、今日だけだぞ!敷いてやるからおまえはさっさと着替えろ」
「ん」
 押し入れから布団をひっぱり出して、2組を横に並べる。おれも今日くらいは一緒に寝てやろう。
「灯り消すぞ」
「ああ」
 仙蔵も横たわったのを確認して、蝋燭に息を吹きかける。部屋が暗闇に飲み込まれた。
 意識が徐々に引っ張っていかれそうになった頃、隣で衣擦れの音がした。
「文次郎」
「ん?」
「ありがとう」
「おう」
 闇に溶けるような小さな声ではあったが、それでもおれの耳にははっきりと届いた。またいつでも何かあったら言えよ、と声をかけたかったがそれは仙蔵のプライドに障るだろうから心の中にとどめておく。そのときはまたおれが察してやればいい。いつか仙蔵が、おれの前でくらい感情の赴くまま素直に喜怒哀楽を出せるようになると、いい。

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